先日、とある研修プログラムに参加した。テーマは「今に存在する実践」。その練習として、「5分間のアイコンタクトを保って、今に存在する」というワークを体験する。ペアになって向き合って座り、お互いの目を合わせて5分間を過ごすという実にシンプルな内容だ。
始めはどうしても笑いが押さえ切れなかった。人と目が合うとつい、頬が緩む。また、周囲で小さな笑いが起きていると、それにつられて笑いたくなる。笑いたくなるのを抑えようとすると、さらに笑いが沸いてくる。どつぼにはまるかもしれない。この笑いがいつ落ち着くのか分からないけれど、波が通り過ぎるまでしょうがないと、状況をとりあえず認める。すると、身体に起きている感覚や呼吸の流れに意識を向けられるようになり、笑いの波は次第に収まっていった。
アイコンタクトをとる。視点を一カ所にとどめて保つことで、自分の見え方に左右の違いがあると気づく。真っすぐ見ているようで、片方に偏っている。それが居心地悪くて、調整しようとする自分がいた。
ただ瞳を見つめているだけなのに、その瞳がさまざまなメッセージを語っているように感じられる。嬉しさ、哀しさ、寂しさ、怒り。いろいろな感情が混ぜ合わさったような、何とも言えない表情は、まだ言葉をうまく使えない子どもの表情のようだ。
言葉を伴わない分だけ、やさしく静かなメッセージだ。けれど、一度それに気づいたら、無視できないくらい力強いものだ。そう、これが生きている人間の力だと思う。日常でアイコンタクトをとるときは、たいてい言葉を交わしているので、瞳から放たれるエネルギーを十分感じ取れていないのかもしれない。
後半になると、瞳の奥まで意識を運んでみるよう促される。目の前にいる人の存在を全身で感じるような時間。すべて肯定されているように感じられ、自然と体や心がリラックスしていく。そこにいることにただ集中していられる。いつのまにか、自分自身もすべてを肯定したくなるような、幸福感を手にしていた。