オキーフに会いに

国立新美術館で開催されている「モダン・アート、アメリカン-珠玉のフィリップス・コレクション」に出かけた。その名のとおり、アメリカの近代美術の歴史を眺めるような時間となった。 

思い出せば中学校時代、美術の時間が好きだった。なかでも色を組み合わせてグラデーションをつくるプロセスが好きだった。   

形があって、ないようなもの。あいまいなものを表現していくことが好きだった。だから、同じような表現を見ると刺激され、惹きつけられる。ジョージア・オキーフの作品が好きな理由もそんなところにあるのかもしれない。   

彼女の作品を見ていると、自分が作品のなかに降り立っていることに気づく。心が身体をするりと抜け出して、そこに降り立っている感じ。   

描かれてる色、形、テクスチャをなぞっていく。その触感に心がざわめく。表面は美しく、なだらかであるけれど、そこに内包されている何ものかが強く訴えてくる。覗き込んでも見えないけれど、それは奥底に確実に存在している。なのに、私たちはそれが存在していないかのように振舞っている。  

彼女の作品は、しばしば「官能的」と表現される。何かを暴露すること、露にすることは生々しさを伴うが、それ自体は直接のテーマではなく、見る者のなかに起こる快感や抵抗、拒絶といったものこそがテーマなのかもしれない。オキーフは、私たちが通り過ぎてしまわないよう、やさしく誘っているかのようだ。