ヘルマン・ヘッセの『わがままこそ最高の美徳』は、「わがまま」と「個性の尊重」をテーマとする詩文を収めたものである。
改めて、彼の個としての強さ、孤独を引き受ける潔さに感じ入ると同時に、路上で立ち往生している若者を励まし、勇気づけるエルダーの心も感じた。
それは、彼の少年時代からも見てとれる。こっそりと父親の部屋に入り込み、悪事を働いてしまった「ぼく」に対し、父親が感情を抑えながら問い詰める。そのときの「ぼく」は一人の人間として父親を観察している。
お父さんみたいに、あんなに頭が良くて偉い人が、どうしてそんなに無意味なことを聞くのだろう!(子供の心)
また、ヘッセは14歳のとき自殺未遂を起こし、両親に精神病院に入れられる。そのとき両親に宛てた手紙から、彼の不屈さを感じる。
ぼくは人間です。シラーが言っているように「一個の人格」なのです。ぼくを生んだものは、ただひとつ、自然だけです。(中略)ぼくは、自然に対して真剣に、そして厳粛に、普遍的人権を、さらに、ぼく固有の人権を要求します。(両親への手紙)
そして、作家としての地位を獲得した後も、何にも迎合せず、自分の心に忠実である姿に強く惹かれる。
「英雄」とは、従順で実直な市民や義務の遂行者のことではない。ただ、自分自身の「固有の心」、自分自身の崇高な、生来もっている「わがまま」を、自分の運命とした個人だけが英雄的でありえるのだ。(中略)自分自身の運命を歩む勇気を見いだす者のみが英雄なのである。(わがまま)
世界は改良されるために存在するものではない。君たちも改良されるために存在するのではない。けれど、君たち自身であるがために存在するのである。世界が君たち特有の音響、色調、ニュアンスの分だけより豊かになるために、君たちは存在するのだ。君自身であれ!そうすれば世界は美しいのだ!君が君自身でなく、嘘つきで、臆病者であるならば、世界は貧しく、世界を改良することが必要だと君は思うのだ。(私たちは何をなすべきか)