映画「ディオールと私」

映画「ディオールと私」を観た。 

クリスチャン・ディオールのデザイナー、ラフ・シモンズが、就任して初めてのコレクションを発表するまでの8週間を追ったドキュメント作品で、創造することの喜びと、障害となるものとの戦いが描かれている。オートクチュールという狭い世界の話であっても、どこか普遍性がある。チームとして何かを始めようとするときの臨場感を味わえたのがとても面白かった。   

ベルギー人であるラフは、映画の冒頭、とても物静かで神経質な人のように見えた。それは、オートクチュールのデザイナーを初めて務めるプレッシャーからであろうし、フランス語に堪能でないために、通訳を介して話さざるを得ないような環境のせいかもしれない。 

そんな静かな人が、スタッフに強く言い切る場面があった。とある画家の作品にインスピレーションを受けた彼は、それをプリントした服地を作ると決めるが、担当者は、困難すぎる注文だと及び腰になっていた。しかし、彼は「僕は絶対に諦めない。それが完璧でなかったとしても、最後の最後まで諦めない」と断言した。  

そこにクリエイトすることの本質と、ブランドを背負って立つデザイナーに求められる気質とを感じないではいられなかった。 

私たちは、初めて取り組むことに対して「難しそうだ」「よく分からない」と消極的だったり、否定的な態度をとりがちだ。とくに他者から提案されたときに、そうなりやすい。 

けれど、そこに「諦めない」と強く宣言できる人がいて、その人の言葉を実現するに値するだけの価値を共有できる関係があったとき、革新が生まれるのだろう。   

ラフは本当に繊細な人らしく、写真を撮られたり、インタビューを受けるのも苦手だと言う。そんな彼の姿が、リアルに映し出される。ドレスが約束通りの時間に仕上がらないときは、静かな苛立ちをみせ、特注の服地が仕上ったときには思わず声を上げ、笑みをもらす。ショーの当日は、緊張のあまり屋上へ逃げ込み、震える。映画が進むにつれ、彼の置かれている立場への理解と共感が深まり、ショーのラストで男泣きする姿を見たときは、つられて泣きそうになってしまったほどだ。   

彼にとって、自分の感覚への絶対的な信頼をもつことと、それが世間にブランドとして評価されることとは、別物なのだろう。映画のタイトルである「ディオールと私」は、彼に与えられた課題なのかもしれない。 

魅力的だったのは、ラフだけでない。アトリエで働く職人たちの情熱にも心打たれた。ディオールでは、デザイナーは変われど、アトリエの職人たちは変わらないという。長い人は40年以上も働いていて、創始者であるディオール亡き後も、ディオールとともにいるという誇りに包まれている。「彼らがディオールの魂なのだ」という言葉に深く感銘を受けた。   

デザイナーと職人。それぞれに求められる役割を十全に果たすこと、そして、そこで起きる摩擦に最後まで向き合うことが、新しいものをクリエイトする力となる。そのエッセンスを十分受け取ることのできる映画だった。